志賀次派坂東流の歴史
志賀次派坂東流由来
坂東流は歌舞伎役者三世・坂東三津五郎を流祖とし、志賀次派はその実弟、志賀次を以て流祖とする。代々技芸に秀でた女性により家元が継承されてきた。当代は四代目にあたる。
初世 坂東志賀次
三世・坂東三津五郎の弟・志賀次の娘。四代目三津五郎の実姉。
父の芸風を確立して慶応年間、舞踊界並びに劇界に重きをなしていた。江戸芝居町(浅草猿若町)に住み、多くの門弟を有していたという。その居宅内には、一般の人々と役者衆とを分けた稽古用舞台、更にお浚いのできる舞台と合計三つの舞台があったといわれている。
二世 坂東志賀次
初世志賀次の養女。始めは坂東三津次(初世)を名乗っていた。舞踊の才能に秀いで、多くの人々からその実力を認められ、慕う者も多かった。七世・三津五郎以降は流儀の相談役として貢献。大正七年、坂東流より独立。坂東流舞踊・元流勝見会を組織、門弟秀次(二世三津次)の父・山路道次郎の援助を受けながら、流派の発展に最善を尽くした。
三世 坂東志賀次
六才で二世志賀次に入門。十二才の時、坂東秀次の名を許される。大正十二年、二世三津次を襲名。戦後、坂東流一本化の為三津五郎傘下に加わり、幹部として重きをなした。その後、八世三津五郎と話し合いの上、再び別派として独立。初世以来の伝統と遺志を生かし、坂東流の伝統的な舞踊を後進に伝えるべく指導にあたった。歯切れの良い口跡と江戸前の粋な立ち役に定評があった。
四世 坂東志賀次(坂東 遥)
そして現在の家元となるのが、四世 坂東志賀次。詳しくは「家元について」のページをご覧ください。